小川 陽子

「詩の恩寵」小川 陽子

いのちが一番大切だと
思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった

(星野富弘作・おだまき(いのち)/書籍『鈴の鳴る道』/絵はがき集 第2集 収録)

伊丹市立北中学校の庭に、星野さんの詩を刻んだ石碑がたっています。かつてこの中学で学び、13歳で心臓病で逝った坂見朋美さんを偲んで建てられました。
 重い心臓病だけど、学校が大好きな朋美さんを、級友たちは車いすを押し、先生は階段をおぶって、できるだけみんなと同じ学習ができるように支えました。
 3度の手術を乗り切り、ふつうの人のように元気になれる大手術をする決意をした朋美さんは、星野さんの詩画集を心の糧にしていました。
 私はおかあさんの坂見紀子さんの書いた本「40本のカーネーションにつつまれて」のお手伝いをしていて、この碑を見る機会を得ました。そのとき朋美ちゃんはいませんでした。朋美ちゃんは4度目の手術からは還ってこられなかったのです。
 記念碑の前に立ち、朋美ちゃんが愛した詩の文字をたどると、幕を引くように、目の前に朋美ちゃんの心が見えてきました。
 生と死を超えてどこまでも続く深い心。そのとき、わずか13歳とはいえ、人生の深淵をのぞいた朋美ちゃんは、短くても充実した生を生き抜いたのだ、と私は悟りました。
 詩の下にはオダマキの花がありました。

 この体験をしたのは、いまから20年前のことです。それ以来、星野さんのカレンダーとともに、私も一月一月と人生の時を刻んできました。
 白血病の少女、筋ジストロフィーの塾の先生、目の見えない15歳の子、性同一性障害の19歳、がん患者のドラマを本にして行く日々、「私は彼、彼女を深く理解できているのだろうか、書けるのか」迷いや不安に襲われると、いつもカレンダーの絵と詩が語りかけ、前に進むようにとうながしてくれました。
 父が認知症になっていった日々、そして父がついに施設へ入所しなければならなくなった日は、星野さんの言葉で、悲しみを耐えました。
 ありがとうございます、星野さん。
ノンフィクション作家 小川陽子

小川 陽子(おがわ ようこ)プロフィール

日本大学芸術学部映画学科卒。石原プロフィルム編集室勤務ののち、ノンフィクション作家。

主な作品
「さようなら、子牛のモグタン」「おかあさん、笑顔をありがとう」「ぼくたちは池田先生をわすれない」(偕成社)
「ぼく、とうふやの営業部長です」(ポプラ社)
「親の認知症が心配になったら読む本」(実務教育出版)

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