詩画紹介

詩画紹介

〜詩画の誕生〜

星野富弘さんが文や絵を書き始め、詩画が誕生するまでの様子を『かぎりなくやさしい花々』(1986年 偕成社刊)から抜粋してご紹介します。

クラブ活動の指導中に頸髄を損傷し手足の自由を失った星野富弘さんは、返事を書きたいとの思いから入院中に口に筆をくわえて文や絵を書き始めます。

「いまから14年くらいまえの、1972年12月、わたしはスケッチブックの最初のページに、ひとつの文字を書きました。かたかなで「ア」と書いたのが最初でした」(「はじめに」より)

「つぎの日も、そのつぎの日も、横むきになるのがたのしみでした。字が書けたといっても、ミミズがのたくったような字ですが、一字でも、一本の線でも、なんにもできないと思っていたわたしにしてみれば、スポーツで新記録をだしたようなよろこびでした」(P43「文字を書くよろこび」より)

富弘美術館の壁には星野さんが入院中に練習した文字や絵が描かれています。

「ベッドの横には、いつも花がありました。おみまいの人がもってきてくれたのを、母が花びんにいけておいたものです。上をむいて寝ているわたしの目のすみには、昼も夜も、その花がうつっていました。

『野のユリがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしは、あなたがたに言います。栄華をきわめたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも、着飾ってはいませんでした。  
今日あっても、明日には炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、まして、あなたがたに、よくしてくださらないわけが、ありましょうか』

  聖書のなかにあったことばを思いだしながら見ていたら、わたしは、その一りんの花よりも、小さくなってしまう思いでした。それまで、たいして気にもしなかった小さな花が、雄大な風景のように見えるのです。手紙のすみに、まくらもとの花をかくようになったのは、このころからでした。(中略)手紙にかいていた花は、しだいに大きくなり、いつのまにか文字より多くをしめるようになりました。かいていくうちに、花はますます美しくなり、かきおわったときは、その美しい花と友だちになったような気がしました」(P83「心の虹」より)

画絵に詩を添えるようになり、1979年、前橋で最初の作品展を開き、大きな感動を呼びます。「心をこめて、ごまかさずにかいた絵の前では、人は長く立ちどまり、熱心に見てくれました。ふるえる一本の線のなかにも、そのときのわたしの心がのこっていて、見た人は、それをちゃんと感じてくれるのでした。それぞれの絵のそばには、絵をかいたときの気もちや、その花からうけた思いなどを、短い詩のような文章にして、そえました」(P121「花とともに生きる」より)
「この展覧会で、わたしの絵を見た何人かの人から、詩画集の出版や、雑誌に連載したいという話がはじまり、わたしは絵や文を書くことに、大きな希望と目標が見える思いでした」(P124)

以後、全国各地で開かれる詩画展は、大きな感動を呼び現在も続いています。

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