飯島 節子

「詩画は私への励ましの言葉」 飯島 節子

木は自分で
動きまわることができない
神様に与えられたその場所で
精一杯 枝を張り
許された高さまで
一生懸命伸びようとしている
そんな木を
私は友達のように思っている

(星野富弘作・椿/書籍『風の旅』/絵はがき集 第8集 収録)

20年ほど前、富弘美術館で初めてあの 「アイウエオ」 の文字を見た時、私は涙を止めることができませんでした。それまで本で触れてきた富弘さんの絵と言葉が、生きて迫ってきたように感じたのです。
「椿」 の詩に出会った時、木に託された思いの中に、現実を受け止め、尚、努力する富弘さんの生き方が現れていて心に響きました。その頃、私自身が身動きのとれない状態を受け入れるのが苦しかったのかもしれません。家の近くにある大きな杉の木を眺めながら富弘さんの詩を思い出し、私も神様から与えられた場所で頑張ろうという思いを深めていきました。
その後も、富弘さんの詩と絵に共感を覚えたり、慰めや励ましを与えられたりしましたが、富弘さんに直接お目にかかる事は想像もしていませんでした。ところが、2006年9月、横浜の赤レンガ倉庫で開催された 「星野富弘 花の詩画展」 のオープニング・セレモニーに捜真小学校の聖歌隊が参加する機会を与えられました。そのことを通して、富弘さんに直接お目にかかり、お話しをすることが出来ました。更に、富弘さんは捜真学院にお出でくださり、中学部、高等学部の生徒たちにお話しをしてくださいました。その年は捜真学院の創立120年の年でした。私たちは、富弘さんの来校を神様からの特別なプレゼントと感じて、感謝に溢れました。
富弘さんは車椅子に付いている鈴の音を子どもたちに聞かせてくださり、鈴は平坦な道では鳴らないが、でこぼこ道では静かに鳴ることをお話しくださいました。そして、どんな状態になっても 「生きる」 ことの尊さを示してくださいました。
捜真学院では、小学校から高等学部までの生徒たち全員が御殿場の本校の施設に毎年宿泊して、聖書の学びを通して様々なことを考える時を持っています。各学年ごとにプログラムが計画されますが、高等学部三年生は 「信仰と人生」 をテーマにして、捜真教育の集大成に臨みます。私も参加をして、私にとっての 「信仰と人生」 を話します。その折には、富弘さんの 「鈴の音」 について必ず生徒たちに話します。長い人生には、平穏な時ばかりでなく辛く苦しい時もあること、その時こそ静かに聞こえてくる神様の声を聞くようにと伝えています。そして、高等学部の卒業に際しては、富弘さんの 「待つこと」 の詩を贈ることにしています。

待つこと
耐えること
花のつぼみ
・・・みんな似ている
みんな
明るい方を
向いている

(星野富弘作・あざみ/書籍『速さのちがう時計』/絵はがき集 ペン画A 収録)

人生の途上で、若い魂は待たなければならないことや耐えなければならないことに必ず出会うことでしょう。その時に私たちの希望の源である方、ご自身を「世の光」と宣言された方にしっかりと顔を向けて生きてほしいと願っています。「待つこと」の詩は、まさにその思いを伝える詩です。
神様は不思議な方です。身体の機能を失った富弘さんに特別な力を与えられ、その絵と言葉を通して、多くの人々に勇気と希望を運ぶ使命をお与えになりました。また、富弘さんの笑顔とユーモアに触れた人達は、神の愛を信じる人の生き方から優しさと力強さを感じることでしょう。 「神様はこんな自分をも認めてくださり、役割を与え、何かをさせようとしておられる」 と生徒たちに語られた富弘さんの言葉は、今日も私への励ましの言葉として思い出されます。富弘さんに出会えたこと、富弘さんの作品を見ることができることを心から感謝しています。

造られたもので
目的のないものはないという
価値のないものも
ないという
動かない指を見ながら
今日は そのことを思っていた

(星野富弘作 ・指(みぞそば)/書籍『あなたの手のひら』/絵はがき集 第13集 収録)

飯島節子(いいじま せつこ)プロフィール

1942年 神奈川県生まれ。捜真女学校高等部、青山学院女子短期大学英文科、米国 イースタン大学英文学科卒業。
1962年~1963年 青山学院女子短期大学英文科副手を務め、1972年~1975年 捜真女学校中学部講師の後、1977年~2000年 捜真女学校中等部・高等学部教諭を経て、2000年 捜真学院学院長となる。
また、現在は、学校法人 捜真学院理事・評議員、学校法人 青山学院評議員、財団法人 日本聖書協会評議員を兼任。
学校法人 捜真学院

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